inu-daisukiのブログ

 犬好きです。いろんなことに挑戦しています。英語、中国語、フランス語、韓国語、カラオケ、健康体操、野鳥観察、文学、哲学書・宗教書を読む、認知症サポーター、地域コミュニティーの在り方、図書館の在り方、老人会(寿会)の在り方探索、国際交流、短歌、俳句、川柳、各紙への投稿等々……。しかし、どれも中途半端なので、最近は、とりあえず英語が流暢に話せるようになるため、多くの時間をかけています。

Dostoevsky 'Brothers of Karamazov'First volume 19

 「このバラムの驢馬(スメルジャコフ)がふいに口をききはじめた。たまたま奇妙な話題になった。今朝早くグリゴーリイがルキヤーノフの店に買出しに行って、そこでさるロシアの兵士の話をきいてきたのだが、その兵士はどこか遠い国境で、アジア人の捕虜になり、ただちに虐殺すると脅迫されながら、キリスト教を棄てて回教に改宗するのをいさぎよしとせずに苦難を甘んじて受け、皮を剥がれ、キリストを讃美したたえながら死んでいったという――……その話をグリゴーリイが食事の席ではじめたのである」「わたしがただちに神さまに呪われたとたん、まさにその最高の瞬間に、わたしはもう異教徒と同じになって、洗礼も解かれ、何事にも責任がなくなってしまうんですよ。せめてこの辺くらいは間違っていないでしょう?」(p311~316)
 スメルジャコフの言を借りれば、世界でキリスト教だけが唯一絶対で正しい神だと仮定すれば、神に呪われた人間は地獄に行くことになってしまう。すると世界平和のための異教徒との対話の糸口はどうなるのだろうか?