my impressions of a book The New Testament by Masaru Sato
I read The New Testament by Masaru Sato.He says Jesus Crist has the spirt.One day I seek on the internet Japanese rerigion "Reiha no hikari".The website by the rerigion,God dwells in his mother;that's "Goshugojinsama".in 1915.
There are a lot of rerigions and their followers believe their rerigion is rightest in the world.
I hope to consider a verification three masures;one is the sacred books,two is universal validity,and last is proof.
I insist a reirigion must come true two subjects;one is individual happiness and another is world peace.I don't accept a rerigion to commit mass murder.
佐藤優『新約聖書』を読む
イエスは”霊”の力に満ちてガリラヤに帰られた。その評判が周りの地方一帯に広まった。イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた。(佐藤優『新約聖書』1p182)
イエスは”霊”の力に満ちた、という。他の宗教も教祖は、ある日突然”霊”の力が宿って自分の宗教を立ち上げたと言われる。
1つ、例を挙げる。
日本に「霊波之光」という宗教団体がある。そのホームページに「1913年(大正2年)の春のこと、一日の畑仕事を終えた御母堂様が、疲れた御体を横にし、休もうとされた時でした。
燦然と輝く御光とともに「汝に八人の子を授ける。五人は丈夫に育つべし。男子おそけれど、心して、大切に育てよ」という御言葉を頂いたのです。
「夢ではない」。御母堂様は横になられましたが、まだ、眠りについていなかったのです。
こうした不思議なことがあってから2年、1915年(大正4年)の7月2日、御言葉のとおり男子が誕生されました。この男の子が 御守護神様です。
私にはキリスト教におけるイエスが霊の力に満ちたり、霊波之光という団体に御守護神様が宿られたことを知っても、ああそうですか、というより方法はない。ただ、個人的に考えると、何らかの基準がないと、いつの間にか大量殺人を目的という宗教団体が誕生しないとも限らない。
最低限、宗教の正邪を見抜く方法として、きちんとした教義があるかどうか、その教義が普遍性(個人の幸福、世界の平和を目的とするなど)をもっているか、また、その宗教を信じて実践した結果、生活の上に安心できる証拠が現れたかどうか、の3つである。自分の宗教を信じている人は自分の宗教が一番正しいと思っている。しかし、客観的におのれの宗教を見つめることも大事である。宗教に盲目であってはならない。
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