inu-daisukiのブログ

 犬好きです。いろんなことに挑戦しています。英語、中国語、フランス語、韓国語、カラオケ、健康体操、野鳥観察、文学、哲学書・宗教書を読む、認知症サポーター、地域コミュニティーの在り方、図書館の在り方、老人会(寿会)の在り方探索、国際交流、短歌、俳句、川柳、各紙への投稿等々……。しかし、どれも中途半端なので、最近は、とりあえず英語が流暢に話せるようになるため、多くの時間をかけています。

my impressions of a book The New Testament by Masaru Sato

In Christianity there was a practice called fasting. What about now? Buddhism is a common-sense teaching. Therefore, Buddha gave up training of fasting.


 fast :abstain from all or some kinds of food or drink, especially as a religious observance.


 「人々はイエスに言った。『ヨハネの弟子たちは度々断食し、祈りをし、ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています。しかし、あなたの弟子たちは飲んだり食べたりしています。』そこで、イエスは言われた。『花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食させることがあなたがたにできようか。しかし、花婿が奪い取れらる時が来る。その時にには、彼らは断食することになる』」(佐藤優『新約聖書』1p188)


 「婚礼の客」に断食させることは非常識と考えたのだろうか。「花婿が奪い取られる時」とは、どういう場面なのだろうか。その時、断食するとはどういう意味だろうか。仏教でも「断食」という修行がある。釈迦は煩悩を断ち切ろうといろいろな修行をした。しかし、煩悩は外からいくら修行をしてもなくならないことがわかり、釈迦は断食をやめた。人間を外から帰るのではなく、内面から変えることに気づいたからだ。ブッダとは覚者の意味で、悟った人である。