Affirming slavery
佐藤優『新約聖書』2「テトスへの手紙}に「奴隷には、あらゆる点で自分の主人に服従して、喜ばれるようにし、反抗したり、盗んだりせず、常に忠実で善良であることを示すように勧めなさい。そうすれば、わたしたちの救い主である神の教えを、あらゆる点で輝かすことになります」(p283)
キリストの使徒パウロも時代の制約を受けていた。もちろんキリストもそうだろう。奴隷は奴隷のままでいい、という差別を肯定するしかなかったのかもしれない。ところが中村元著『ブッダの人と思想』に「どこの国でも昔はやっぱり家柄というのがありまして、インドではバラモンが重んぜられていましたから、バラモンの家に生まれた人が、家柄だけで貴いと思われている。そうじゃないので、その人の行いがどのようなものであるかということによって決めるんだというんですね。やはり人々から尊ばれるのは、立派な行為をしている人でなければならないと。それこそ本当のバラモンだということをいうんですね」とあります。釈尊は人を生れによって差別してはいけない、その人の行動を見ていた。
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