The world to come
佐藤優『新約聖書』2「テモテへの手紙」に「信心は、この世と来るべき世での命を約束するので、すべての点で益となるのです」(p269)
この手紙によると、キリスト教もこの世、あの世を想定している。それでは、前世はどうとらえるのだろうか。ダンテの『神曲(上)地獄』(山川丙三郎訳)に「クリストの教へのさきに世にありたれば神があがむるの道をつくさゞりき」(p31)とある。キリストより先に生まれてしまった人は地獄に堕ちるようだ。
ところが仏教は違う。三世の生命観がしっかり確立されており、時代時代に仏が生まれ衆生を救済していく、とい考えである。釈尊滅後を考えても、中国に天台が出現に、日本に伝教が出現し、末法には日蓮が出現している。釈尊以前も五百塵点劫、三千塵点劫という気の遠くなるような過去にも仏が現れ、その時代の民衆を救っている。簡単に言うと、どんな時代に生まれようとも必ずその時代に仏が出現しているという完全に当番制らしき流れがある。「世世番番の成道」といって、本仏が垂迹身を示現して繰り返し出世して衆生を救済していく。仏教の深遠さにひかれる人は多い。
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