inu-daisukiのブログ

 犬好きです。いろんなことに挑戦しています。英語、中国語、フランス語、韓国語、カラオケ、健康体操、野鳥観察、文学、哲学書・宗教書を読む、認知症サポーター、地域コミュニティーの在り方、図書館の在り方、老人会(寿会)の在り方探索、国際交流、短歌、俳句、川柳、各紙への投稿等々……。しかし、どれも中途半端なので、最近は、とりあえず英語が流暢に話せるようになるため、多くの時間をかけています。

Sinheikemonogatari 1 Nyoin to saigyo

Nyoin to saigyo女院と西行
 改元されて、保延七年は、夏の七月十日からさき、「永治元年」と呼ばれた。……新帝の近衛天皇は、まだ、乳の香もうせない、お三つという、いといけなさ。ために。――”関白ヲ以テ、摂政トナス”と布告された。……藤原忠通が、これから、摂政をも兼ねることになる。退位された崇徳は、なお、二十二歳のお若さである。……二月二十六日には、待賢門院の仁和寺入りが、つづいて、沙汰された。……四十二のお髪(ぐし)は、黒く、艶やかであった。(p227~240)
 待賢門院――藤原 璋子(ふじわら の しょうし / たまこ、康和3年(1101年) – 久安元年8月22日(1145年9月10日))は、平安後期の国母。鳥羽天皇の中宮で、崇徳・後白河両天皇の母。女院号は待賢門院(たいけんもんいん)。