inu-daisukiのブログ

 犬好きです。いろんなことに挑戦しています。英語、中国語、フランス語、韓国語、カラオケ、健康体操、野鳥観察、文学、哲学書・宗教書を読む、認知症サポーター、地域コミュニティーの在り方、図書館の在り方、老人会(寿会)の在り方探索、国際交流、短歌、俳句、川柳、各紙への投稿等々……。しかし、どれも中途半端なので、最近は、とりあえず英語が流暢に話せるようになるため、多くの時間をかけています。

Heikemonogatari 4 Shigehira is cut

Shigehira is cut重衡被斬
 本三位中将重衡卿は、狩野介宗茂にあづけられて、去年より伊豆国におはしけるを、南都の大衆、頻に申ければ、「さらばわたせ」とて、源三位入道頼政の孫、伊豆蔵人大夫頼兼に仰て、遂に奈良へぞつかはしける。……北方大納言佐殿、「かうべをこそはねれたりとも、むくろをばとりよせて孝養せん」とて、輿を無かへにつか蓮。……北方もさまをかへ、かの後世菩提をとぶらはれけること哀れなれ。(p272~284)
 平重衡(たいら の しげひら)は、平安時代末期の平家の武将・公卿。平清盛の五男。母は清盛の継室・平時子。三位中将と称された。
 平氏の大将の一人として各地で戦い、南都焼討を行って東大寺大仏や興福寺を焼亡させた。墨俣川の戦いや水島の戦いで勝利して活躍するが、一ノ谷の戦いで捕虜になり鎌倉へ護送された。平氏滅亡後、南都衆徒の要求で引き渡され、木津川畔で斬首された。
 その将才は「武勇の器量に堪ふる」(『玉葉』治承5年閏2月15日条)と評される一方、その容姿は牡丹の花に例えられたという。


 平家は戦に負けた。負けるとは悲惨なことだ。だが、仏教によってかろうじて来世を信じることで、自分の苦難を救おうとしていた心が見える。