Notodono the last
Notodono the last能登殿最期
女院(安徳天皇の母)は、この御ありさまを御らんじて、御やき石・御硯、左右の御ふところに入れて、海へ入らせ給ひけるを、……さる程に、平中納言教盛卿、修理大夫経盛兄弟、よろひのうへにいかりを負日、手をとりくんで海にぞ入給ひける。……凡そ能登守教経の矢さきにまはる物こそなかりけれ。……判官かなはじとや思晴れ件、……ゆらりととび乗り給ひぬ。……「いざうれ、さらばおのれら、死途の山のともせよ」とて、生年廿六にて海へつっとぞ入り給ふ。(p204~212)
平教経(たいら の のりつね)は、平安時代末期の平家一門の武将。平教盛の次男。平清盛とは伯父と甥の関係である。
『平家物語』では、数々の合戦において武勲を上げ、「たびたびの合戦で一度の不覚も取ったことはない」「王城一の強弓精兵」と言われる平家随一の猛将であり、源義経のライバル的存在として描かれている。
都落ち後、退勢にある平家の中でひとり気を吐き、水島の戦い、六ヶ度合戦、屋島の戦いで奮戦して源氏を苦しめた。最後は壇ノ浦の戦いの敗戦の中さんざんに戦い、源義経に組みかかろうとするが、八艘飛びで逃げられ、大男2人を締め抱えて海に飛び込んで死んだ。
能登殿(平教経)といえども、最後は海に消えていった。
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