inu-daisukiのブログ

 犬好きです。いろんなことに挑戦しています。英語、中国語、フランス語、韓国語、カラオケ、健康体操、野鳥観察、文学、哲学書・宗教書を読む、認知症サポーター、地域コミュニティーの在り方、図書館の在り方、老人会(寿会)の在り方探索、国際交流、短歌、俳句、川柳、各紙への投稿等々……。しかし、どれも中途半端なので、最近は、とりあえず英語が流暢に話せるようになるため、多くの時間をかけています。

Notodono the last

Notodono the last能登殿最期
 女院(安徳天皇の母)は、この御ありさまを御らんじて、御やき石・御硯、左右の御ふところに入れて、海へ入らせ給ひけるを、……さる程に、平中納言教盛卿、修理大夫経盛兄弟、よろひのうへにいかりを負日、手をとりくんで海にぞ入給ひける。……凡そ能登守教経の矢さきにまはる物こそなかりけれ。……判官かなはじとや思晴れ件、……ゆらりととび乗り給ひぬ。……「いざうれ、さらばおのれら、死途の山のともせよ」とて、生年廿六にて海へつっとぞ入り給ふ。(p204~212)
 平教経(たいら の のりつね)は、平安時代末期の平家一門の武将。平教盛の次男。平清盛とは伯父と甥の関係である。
 『平家物語』では、数々の合戦において武勲を上げ、「たびたびの合戦で一度の不覚も取ったことはない」「王城一の強弓精兵」と言われる平家随一の猛将であり、源義経のライバル的存在として描かれている。
 都落ち後、退勢にある平家の中でひとり気を吐き、水島の戦い、六ヶ度合戦、屋島の戦いで奮戦して源氏を苦しめた。最後は壇ノ浦の戦いの敗戦の中さんざんに戦い、源義経に組みかかろうとするが、八艘飛びで逃げられ、大男2人を締め抱えて海に飛び込んで死んだ。
 能登殿(平教経)といえども、最後は海に消えていった。