inu-daisukiのブログ

 犬好きです。いろんなことに挑戦しています。英語、中国語、フランス語、韓国語、カラオケ、健康体操、野鳥観察、文学、哲学書・宗教書を読む、認知症サポーター、地域コミュニティーの在り方、図書館の在り方、老人会(寿会)の在り方探索、国際交流、短歌、俳句、川柳、各紙への投稿等々……。しかし、どれも中途半端なので、最近は、とりあえず英語が流暢に話せるようになるため、多くの時間をかけています。

"Wisdom of the Lotus Sutra" Volume2 There is always certain difficulty in legitimacy

※正法には必ず難がある
遠藤 法師品では、法師が難に遭うことを強調しています。大聖人が身で読まれた「此の経は、如来の現在すら、猶怨嫉多し、況や滅度の後をや」(法華経390㌻)の文も法師品で説かれます。
須田 法師が難に遭う理由は、法華経が難信難解の経であるからだと説かれています。難信難解だから、釈尊の在世ですら怨嫉が多かった。まして、滅後においては、さらに難が大きい、と。
名誉会長 「況や滅度の後をや」――なぜ、仏の「在世」よりも「滅後」のほうが難が大きいのか。
「滅後」とは、仏の精神が忘れられ、宗教的、思想的に混迷する時代のことです。かりに仏を崇めているようでも、肝心の「仏の精神」は忘れ去られている。仏教の「宗派」はあっても、「仏の心」は生きていない。「宗教のための宗教」はあっても「人間のための宗教」はない。法華経は、特にそういう時代のために説かれた経典です。
「仏の心」を忘れ去った時代に、「仏の心」を伝える法華経を弘めるからこそ、怨嫉が多いのです。人間性を失った時代に、人間性の回復を唱えきっていくのは大変なのです。(『法華経の智慧』第2巻p246~247)