inu-daisukiのブログ

 犬好きです。いろんなことに挑戦しています。英語、中国語、フランス語、韓国語、カラオケ、健康体操、野鳥観察、文学、哲学書・宗教書を読む、認知症サポーター、地域コミュニティーの在り方、図書館の在り方、老人会(寿会)の在り方探索、国際交流、短歌、俳句、川柳、各紙への投稿等々……。しかし、どれも中途半端なので、最近は、とりあえず英語が流暢に話せるようになるため、多くの時間をかけています。

Buddha who established the view of equality between Buddha and man

 釈尊の偉大な点は、神もしくは仏は人間と隔絶した存在ではなく、人間にとって手の届く存在だということを確立して点にあるのではないか。釈尊は差別と徹底的に戦った。その結末が、一人一人の人間に実は仏という尊厳を見出したことにある。
 今までの宗教は間違いなく人間の上位に位置していた。しかし、釈尊は宗教を人間のためにと、引き寄せたのである。すなわち、仏と人間との間の微妙な差別感を取り除いたといえよう。神>牧師>人間、あるいは仏>僧侶>人間という乗り越えられぬ壁に向かって果敢に思想的挑戦をしたともいえよう。
 釈尊は「四十余年未顕真実」(「無量義経説法品第2」の文。「四十余年には未だ真実を顕さず」と読む。釈尊が法華経を説く以前の40年余りの間に説いてきた諸経の教えは、方便・仮の教え(権教)であり、いまだ真実を表していないということ)といって、長い間、真実の教えを説かなかった。いきなり本当のことを説いても衆生は理解できない。故に、時を待ったといえよう。釈尊は法華経に来て①三世の生命観、と②一切衆生の成仏を明らかにした。
 釈尊は、菩提樹の下で成道した。それは覚ったのではなく、目覚めたのである。釈尊50年の説法の内42年間は仮の教えを説いた。その後、法華経に来て真実の生命観を明かした。そのことに気づいた識者は少ない。
 その釈尊の平等思想をまっすぐ受け継いだのが日本の日蓮である。内村鑑三はその著『代表的日本人』で日蓮について「私ども日本人のなかで、日蓮ほどの独立人を考えることはできません。実に日蓮が、その創造性と独立心とによって、仏教を日本の宗教にしたのであります。他の宗教が、いずれも起源をインド、中国、朝鮮の人にもつのに対して、日蓮宗のみ、純粋に日本人に有するのであります」
 日蓮は弟子から次のような質問を受けた。「聖人の唱えさせ給う題目の功徳と我れ等が唱へ申す題目の功徳と何程の多少候べきやと云云、更に勝劣あるべからず候、其の故は愚者の持ちたる金も智者の持ちたる金も愚者の然せる火も智者の然せる火も其の差別なきなり、但し此の経の心に背いて唱へば其の差別有るべきなり」
 日蓮は、聖人が唱える題目も一般信徒が唱える題目の功徳も全く差別はない、と言い切っている。この思想は釈尊が「如我等無異」と言ったのと軌を一にしている。