Dostoevsky 'Brothers of Karamazov'First volume 29
「(リーズ)『幸福とは、幸福とはいったいどこにあるのでしょう? いったいだれが、自分は幸福だと言うことができるのでしょう?……』(長老)『特に苦しんでおられることは、何です?』『あたくしが苦しんでいるのは……疑いです……』『神への疑いですか?』『まあ、そんな、とんでもない。……やがてくる来世の生活という考えが、苦しいほどあたくしの心を乱すのでございます……あたくしが来世を信じておりましたのは、ごく幼いころだけで、何も考えず、ただ機械的に信じていたのでございます……何によって証明し、何によって確信すればよろしいのでしょう?……』『実践的な愛をつむことによってです。……』『実践的な愛ですって? それがまた問題ですわ、それもたいへんな問題、大問題じゃありませんか……』」(p132~134)
リーズは鋭い質問をしている。キリスト教のおいてはどのように来世を捉え、どう証明するのだろうか。確かに大問題だ。
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