Dostoevsky 'Brothers of Karamazov'First volume 5
「長老とはいったい何者なのか? 長老とは、すなわち、あなた方の魂と意志を、自分の魂と意志の内に引き受けてくれる人にほかならない」(p63)「長老というものは、ある場合には、理解しえぬほどの無限の権力を与えられている」(p65)
キリストに代わって魂を救済してくれる人が長老かもしれない。ただ、無限の権力という言葉が気になる。
ベルクソンは「道徳的な意味で最上の創造者というのは、自らの行動が充実しているというだけではなく、他者の行動を充実したものとすることができるものである」と述べ、「最上の創造者」を紹介している。ベルクソンのいう最上の創造者とも少し違うようだ。
アンリ=ルイ・ベルクソン(Henri-Louis Bergson [bɛʁksɔn]発音例、1859年10月18日 - 1941年1月4日)は、フランスの哲学者。出身はパリ。日本語では「ベルグソン」と表記されることも多いが、近年では原語に近い「ベルクソン」の表記が主流となっている。
このベルクソンの「自らの行動が充実している」「他者の行動を充実したものとする」とは、大変刺激的言葉である。この表現の中から、筆者はヴィクトル・ユゴー(1802~1885)の『レ・ミゼラブル』を思い起こす。「貧しさにたえかねて一片のパンを盗み、19年を牢獄ですごさねばならなかったジャン・ヴァルジャン。出獄した彼は、ミリエル司教の館から銀の食器を盗み出すが、神のように慈悲深い司教の温情は翻然として彼を目ざめさせる」(『レ・ミゼラブル』ユーゴー作 豊島与志雄訳 岩波文庫)。一人の偉大な司教が、人生を投げ出していた人物を180度変えてしまった。
ゾシマ長老とベルクソンの考える最上の創造者、ミリエル司教は相通じるものがあるのではないか、と考える。
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