Dostoevsky 'Brothers of Karamazov'First volume 4
長老とか長老制度とかが、わがロシアの修道院にあらわれたのは、ごく最近のことで、まだ百年にもなっていないほどであるが、一方、正教の東方全体、特にシナイには、すでにはるか千年も昔から存在しているという。p62
辞書で「長老」を引くと以下の意味がある。
ちょう‐ろう〔チヤウラウ〕【長老】 の意味
出典:デジタル大辞泉
1 年老いた人を敬っていう語。特に、経験が豊かで、その社会で指導的立場にある人をいう。「村の長老」「財界の長老」
2 年長で徳の高い僧。禅宗で、住持の僧。また、律宗では、主管者。
3 初期のキリスト教会の指導者。使徒に次いで重んじられた。現在では長老派教会での信徒の代表。教会を代表し信徒の訓練に当たる。
長老を経験が豊かで指導的立場の人と理解していたが、もっと深い意味があることが分かる。『カラマーゾフの兄弟』では、魂の指導者の呼称で使っている。
ロシアで有名なのはコゼーリスカヤ・オープチナ修道院での長老である。この修道院に信者たちは何千キロの道もいとわず、群れつどってこの町にやってくるのだ。p63
ゾシマ長老は六十五,六で、地主の出であり、ごく若いころに軍籍に身をおき尉官としてコーカサスに勤務したこともあった。……アリョーシャは、長老に目をかけられ、そばに近づけられて、長老の僧庵で暮していた。p66
『あらゆる人が神の子となり、本当のキリストの王国が訪れることだろう』こんな夢をアリョーシャの心は描くのだった。p71
若きアリョーシャはゾシマ長老の魅力に引きつけられ、ゾシマ長老もアリョーシャの純朴さを愛していたようだ。魂の指導者としてのゾシマ長老について次のような記述がある。いったい何がゆえに信者たちがこれほど長老を慕い、顔を拝んだだけで、なぜその前にひれ伏して感涙にむせぶのか、そんなことはアリョーシャにとって何ら疑問となるものではなかった。p60
この一節を読んだとき、ベルクソンを思い起こした。
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