inu-daisukiのブログ

 犬好きです。いろんなことに挑戦しています。英語、中国語、フランス語、韓国語、カラオケ、健康体操、野鳥観察、文学、哲学書・宗教書を読む、認知症サポーター、地域コミュニティーの在り方、図書館の在り方、老人会(寿会)の在り方探索、国際交流、短歌、俳句、川柳、各紙への投稿等々……。しかし、どれも中途半端なので、最近は、とりあえず英語が流暢に話せるようになるため、多くの時間をかけています。

Dostoevsky 'Brothers of Karamazov'First volume 2

 二男イワンは気難しい、自分の殻に閉じこもったような少年になり、勉強に対しては並外れたかがやかしい才能をあらわしはじめた。(p34)彼は理科を出たのに門外漢の宗教裁判をめぐる論文を大新聞に発表していた。そのイワンが街にやってきた。(p37)なぜ来たのか。彼は長兄ドミートリイの頼みと用件によるという。(p39) 


 三男アレクセイ(アリョーシャ)はごく普通の人道主義者だった(p40)が、有名なゾシマ長老に巡り合って、その愛情に心服した。
 さて、アリョーシャにとって「静かな夏のある夕方」の記憶は特別な者である。開け放された窓、沈みかけた太陽の斜光、部屋の一隅の聖像、その前にひざまずいた母が、ヒステリーを起こしたように金切り声や叫び声をあげながら泣きわめき、彼を両手にかかえて、痛いほどぎゅっと抱きしめ、彼のため聖母マリヤに祈っては、さながら聖母の庇護を求めるかのように、両手に抱きしめた彼を聖像の方にさしのべている……そこへ突然、乳母が駆けこんできて、怯えきった様子で母の手から彼をひったくる。こんな光景だ。
 彼のこの経験は心の奥深くに留められたにちがいない。個人的な、内心の悩みとでも言うべきもののためで、それが当人にとってあまりに重大なことなのでそのためにほかの人たちを忘れるような形になってしまう、という。あの「静かな夏のある夕方」の出来事を誰も知らない。しかし、それ故アリョーシャは、心優しい青年い成長していったといえる。この青年はどこへ行っても、みなに愛されていた。彼には常軌を逸した羞恥心と純真さを持っていた。(p46)
 アリョーシャは父に向かって突然、自分は修道院に入りたいと言った。(p53)
お前は坊主の仲間入りをするというんだな? しかし、俺はお前と別れるのが淋しくてならんよ。(p54)
 ゾシマ長老の感化を受け、アリョーシャは宗教への道へ進もうとしていた。父親はそのアリョーシャに会って心に安堵を覚えたのは確かだと思う。