Heikemonogatari 3 Kurikara drop
Kurikara drop倶利迦羅落
さるほどに、源平両方陣をあはす。陣のあはひわづかに三町ばかりによせたり。源氏もすゝまず、平家もすゝまず。……次第にくらうなりければ、北・南よりまはッつる搦手の勢一万余騎、倶利迦羅の堂の辺にまはりあひ、えびらのほうだて打たゝき、時をどッとぞつくりける。平家うしろをかへい見ければ、白旗雲のごとくさしあげたり。……平家、私大にくらうはなる、前後より敵は攻め来る。……(平家の)七万騎がなかより、わづかに二千余騎ぞのがれたりける。(p35~38)
平家の油断が大敗に結びついた。
倶利伽羅峠の戦い(くりからとうげのたたかい、倶梨伽羅峠の戦い)、または、砺波山の戦い(となみやまのたたかい、礪波山の戦い)は、平安時代末期の寿永2年5月11日(1183年6月2日)に、越中・加賀国の国境にある砺波山の倶利伽羅峠(現富山県小矢部市-石川県河北郡津幡町)で源義仲軍と平維盛率いる平家軍との間で戦われた合戦。治承・寿永の乱における戦いの一つ。
明る十二日、奥の秀衡がもとより、木曽殿へ竜蹄二疋奉る。一疋はくろ月毛、一疋は連銭葦毛なり。……四万余騎、馬や人をすぐッて二万余騎で馳むかふ。……木曽殿、「さればこそ」とて、荒手二万余騎入かへて、平家三万余騎が中へをめいてかけ入、もみにもうで、火出るほどにぞ攻めたりける。平家の平共、しばしさゝへて防きけれ共、こらへずして、そこをも遂落さる。(p38~40)
ここでも勢いのある木曽殿が平家を圧倒。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。