Dostoevsky 'Brothers of Karamazov'First volume 24
「アリョーシャが思い出したかぎりでは、長老はこう説いた。『神の民を愛しなされ、わたしらは、ここに入ってこの壁の中にこもっているために、世間の人たちより清いわけではなく、むしろ反対に、ここに入った人間はだれでも、ここに入ったというそのことによってすでに、自分が世間のすべての人より、この世の名によりも劣っていると認識したことになるのです。だから修道僧たる者は、この壁の中で永く暮らせば暮らすほど、身にしみてそのことを自覚せねばなりません。……自分が世間のだれよりも劣っているばかりか、生きとし生けるものすべてに対して、さらには人類の罪、世界の罪、個人の罪に対して、自分に責任があると認識したとき、そのときはじめてわたしたちの隠遁の目的が達せられるのです。」(p400~401)
ゾシマ長老は死に臨んで、修道僧のあるべき姿を語っていた。神に仕える者は皆を大事にし、謙虚に生きていくことを説いている。
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