The Brothers Karamazov
放送大学の教授が、『源氏物語』と『カラマーゾフの兄弟』が世界の文学で最高峰だと言っていた。人によっていろいろかもしれないが、『カラマーゾフの兄弟』に挑戦したい。新潮文庫でドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(原卓也訳)を購入した。上巻の表紙の裏扉に作者のドストエフスキーについての簡単な解説が載っている。ドストエフスキーは1821年生まれ、1881年死去、とある。
※19世紀のロシア
19世紀初頭、ナポレオン軍の侵攻を撃退し、ウィーン体制での保守反動勢力の中心となったが、国内での社会変革を求める運動も起こってきて矛盾が強まる。19世紀後半は積極的なバルカン方面や中央アジア、東アジアでの南下政策を展開し、周辺諸国との軋轢を強めていった。1877年には露土戦争に勝利したものの欧州列強の干渉を受けてバルカン方面で後退せざるを得なかった。(by 世界の窓)
ドストエフスキーが生まれた1821年と亡くなった1881年を見てみよう。
※1821年
大陸封鎖令の実施を巡ってロシアとフランスの対立が高まり、1812年6月にナポレオンは約60万人の大兵力を率いてロシアに侵攻した(第一次大祖国戦争)。ロシア軍は決戦を避けて焦土作戦を行いつつ後退した。9月にクトゥーゾフ将軍のロシア軍がボロジノの戦いでナポレオンの大陸軍と対戦するが、両軍とも甚大な犠牲を出して、ロシア軍は整然と後退した。大陸軍はモスクワを占領するが、直後に大火(英語版)が起きて町は廃墟と化しており、アレクサンドル1世はナポレオンからの和平交渉に応じようとはしなかった。
ナポレオンはモスクワを放棄して撤退を開始するが、冬季の退却戦で大損害を出して大陸軍は壊滅状態となり、ロシア遠征はナポレオンにとって破滅的な大敗で終わった。
※1881年
アレクサンドル2世が暗殺されたことにより帝位を継承したアレクサンドル3世(在位1881年 - 1894年)は皇位継承宣言で父の死を悲しみ、専制権力を強固とすることを宣言した。アレクサンドル3世は極度に反動的な思想の教育係ポベドノスツェフ(後に宗務院総監を務める)の影響を強く受けており、彼は教え子に対して言論と出版の自由の危険性や立憲制そして議会制への嫌悪を教え込んだ。
アレクサンドル3世は治安維持を目的とした「臨時措置法」を公布して革命運動への弾圧を強め、教育と出版の分野でも規制を厳正化させた。取締りによって人民の意志派をはじめとする国内の革命運動は壊滅状態になり、革命的知識人にも分裂や転向が起こっている。この一方で、治安回復のための「愛民政策」が行われ、貴族階級には金融面での優遇措置を取り、地方行政での貴族の権力を強化させた。農民には人頭税の廃止と農奴解放に伴う償却金支払い軽減および共同体保護策、労働者にも労働条件の改善施策がとられた。(by ウィキペディア)
ドストエフスキーは60年の生涯だった。19世紀後半に活躍している。彼は激動に時期を生きたことになる。
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